「見栄」って、いったい何なんでしょうね。
『見栄を張る=人より優位に立つ』ってこと?!
人と比べて何か良いことがあるのか?
「見栄」をちょっとばかり追求してみました。
やっかいな「見栄」っていったい何?
『私の見栄っ張りなところ』って何だろ?!
そもそも『見栄』を調べてみると・・・・・
みえ【見え/見栄/見得】
《動詞「みえる」の連用形から。「見栄」「見得」は当て字》
- 見た目。外観。みば。「―を飾る」
- (見栄)見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。「―で英字新聞を読む」
- (見得)歌舞伎の演技・演出の一。俳優が、感情の高揚した場面で、一瞬動きを停止して、にらむようにして一定のポーズをとること。
改めてアコさんの「見栄」を考えてみました・・・・・・
- お金をたくさん稼ぎたい
- 生活の質を今よりも上げたい
- 周りから「何でもできますね」と言われたい
- 「おしゃれですね」と言われたい
- 社会を真っ当に生きていると言いたい
- 人前で「できない」と言いたくない
- 何でも自分一人でできると言いたい
- 誰からも好かれたい見栄
- どんな人でも助けたい
- 外見から「いい人だね」と思われたい etc…
〜と、まぁ〜次から次に出てくる”見栄っ張り”の山々。
48歳の今、接客業を長年やってきて
身体にシミついているせいからなのか、
「人から良く見られたい=見栄」っていう『人から目線』がず〜っと身体にこびりついたまま今に至っていました。
なので急に「何かを変える」とかはできないと思うんです。
ただ、「少しだけなら変えられるんじゃないか」とは思っているんです。
変な見栄をすてること•••••
20代・30代・40代〜と
これからもなんだかんだ言ってても、
きっと「見栄を張ること」は思わず癖のようにこれからも
ちょいちょい出てきてしまうと思うんです。
だけど今までと違うことは
「見栄を張ることを少しだけすてると自分がラクになる」ということを
最近、知ることができました。
今まで「見栄を張っていたこと」でも
いったん「見栄を張ること、やめてみるかっ!」〜と
思えれば、『お金の執着』や『外見の見てくれ』は
それほど頑張りすぎずに「自分のこころが満たされること」を知ることができた。
これからはどんなことも「一生懸命」にあまりなりすぎず、
ほどほどに力を抜いて、
『自分のこころが豊かになる方』に心をゆだねていく生き方〜へ
変えていこうと思います。
その方が「こころのしんどさ」「心の違和感」が
私は少し軽減されたので・・・(´∀`*)
まとめ( アコさんの結論 )
ほんの小さな見栄が「自分のこころ」を窮屈にしていたこと、
以前よりは少しだけ分かってきました。
(→「こころの状態」って常にはかることができないから難しいッ〜💦)
アコさんにとっては
『見栄をすてるのにも案外プライドがいる』ってことも分かりました。
50歳間近で、変な見栄を張ってても
「自分の人生楽しめない」ってことに気づけたから
少〜しだけ心がラクになリました✨
『見栄を張ってても良いことはない』って自分が思えたから、これに気づけただけでも大きく前進してるのかな〜と思います。
今まさに、48歳で思考を軌道修正してるとこΣ(゚д゚lll)
(→「今かよッ」って。聞こえてますぞッ!!)
あなたの貴重なお時間を使って最後まで読んでいただき、
『ありがとうございました』🙏
※下記にコメント欄があるので
「20代のときに見栄を張っていた時のエピソード✨」を1つ
教えていただけたらアコさんの活力になります。