2000年 6月6日 11:36
昨年の2022年に数えで23周忌を家族で過ごしました。
昨年のあの日は・・・・・
家族には内緒ですけど、いろんなことを考えさせられた日でも
ありました。
2000年6月6日11:36分、父が病室で家族に囲まれながら
息を引き取りました。
余命半年と1999年の3月に宣告されてから父は1年半、
病と葛藤し頑張った姿を家族にいろんな表情で見せてくれました。
時には〜イライラした姿、本を読んでいる姿、昼まで眠っている姿、看護師さんにイライラしている姿、不機嫌な姿・・・・・
1年半の闘病生活を共にした私(家族)にはたくさんのことを
お父さんから学んだような気がします。
- 家族も亡くなるということ
- 当たり前に過ごしている今は実は当たり前ではないこと
- かかさん(母親)を大切にすること
- Tくん(兄)を大切にすること
- 人の良いところを見つけられる人間になること
- 思っていることを口に出すこと
- 困ったら相談すること
- 家族は自分の味方でもあること
- 人の頑張りをバカにしたりしないこと
- 泣きたいときは家族の前でも感情を出すこと
- 喜怒哀楽をはっきり出して相手に伝えること etc…
2000年6月6日、当時24歳だったアコさんは親戚一同にも気丈を振る舞い、
どこか「しっかりしないとッ」と思いながら
通夜、葬儀、告別式、火葬場を淡々と過ごしていました。
(→アコさんだけではなく、家族3人が今まで以上にしっかりしていました)
全く涙を流さなかった〜と言うわけではなく、
お父さんの会社の方や知人、遠方から来た親戚の方などが
「昔ね、お世話になったのよ」とか
「何も言わずに助けてくれてね・・・」 など
どのエピソードも家ではまったく聞いたことがなかった
『人として優しいお父さん』がそこにはたくさんいました。
うちのお父さんは1999年の1月に
「雪かきが思うようにできないッ、肩に違和感がある」と
かかさん(母親)に伝えたところから病気の前兆が始まってい
たのかもしれません。
その後、一人でマッサージ店へ行けないお父さんをかかさんが連れて行き何度か通院するも・・・・・
肩の痛みが「なかなか治らなかった」ところから
闘病生活へと流れていきました。
大きな病院を紹介され、お父さんに主治医がつき、
病名は「肩から発症したガンで全身の至るところへ進行がすすんでいる状態です」と聞かされました。
そして、ステージ4だという現状がそこにはあり、
かかさん、Tくん、わたしの3人に現実をドンっと
突きつけられました。
そこからの日々は・・・・・
いろいろなことが初めての連続でした。
ほんと、それまで経験できない色々なことを見たり、触れたり、怒ったり、笑ったり、笑わしたり、とことん悩んだり、隠れて大泣きしたり・・・
今、思い出すと〜とっても良い時間をお父さんにもらいました✨
「最終的にアコさんはお父さんのために何ができたのか?!」
その答えは・・・・・きっと、アコさんの場合は〜
「何も言わずに手を握ってお父さんの側にいること」が何よりも人間にとって安心すること、笑顔になることなんじゃないかとお父さんと向き合って体験してみてそう感じました。
お父さんからは「自らの命」をかけて教科書には決して書かれていない「命の尊さ」「儚さ」「悔しさ」「生きるチカラ✨」を目の前で体現してみせてくれたような気がします。たくさんの奇跡も見せてくれました✨✨
2023年の今年は・・・
2023年は、月法要を6月1日におこない、その日に月命日分のお経を
あげていただきました🙏
月命日の日は、空を見上げると〜どんよりと雲がかかっていて
「雨が降りそうだなぁ〜」と思いながらゆったりと過ごしました。
毎年、月命日には何かしら出掛けることが多く、
今年も夕食を「豚丼久しぶりに食べに行くか!」とTくんの一言で
家族で豚丼屋さんへ行って来ました。
お父さんが生きていたら・・・・・きっとこう言うんだろうなぁ〜
『豚丼ってあの豚丼?』って。
あの豚丼って、どの豚丼のことを言ってんだかっʅ(◞‿◟)ʃ
(→時々、訳わからないことを投げかけてくる人でした( ´∀`)✨)
貴重な時間を使って最後まで読んでいただき、
「ありがとうどざいました」🙏
※下記にコメント欄があるので
「あなたが幼いころお父さんと過ごしたエピソード✨」を1つ
教えていただけたらアコさんの活力になります。